第二次世界大戦下で、南洋に生きていた人々を
訪ね歩いた「南洋と私」、
「あのころのパラオをさがして 日本統治下の南洋を生きた人々」
「原発労働者」など。
三人の小さい子供を育てながら、
精力的に書かれている姿に驚くとともに、
話を聞いた人に、深く心を寄せる姿勢に、
とても共感しました。
「原発労働者」のなかで、彼女も書いているように、
「ひとごと」を「わがこと」として感じること。
考えてみること。
の大切さ。本当にそう思います。
音楽家、シンガーソングライターとしても素晴らしいけど、
文筆家としても、素敵な人だなと思いました。
彼女の本で、特に好きだったのが、「彗星の孤独」。
日々の暮らしの中で、また、ライブで全国を回りながら、
感じたことを書いているのですが、
あちこちに、光る言葉があって、
いいなあ、と心に残りました。
そのいくつかを紹介しますね。

「2018年、私たちは、普段横軸の世界に生きている。
生まれてから出会った人たちのことを考えたり、
いがみあったりしながら、同じ今を生きている。
けれど、詩の朗読や音楽というものは、そこに、
縦軸を現前させることができるように思う。
目に見えないけれど、確かに人を一瞬で
未来や過去に連れていってくれる。」
「考えてみれば人と人の関係も音楽のように目には見えなくて、
ある日突然途切れたり、転調しうるはかなさを持っている。
私たちはたよりなさを生きる。たよりない日々を生き、
憤ったり悲しんだりしながら、自らを抱えている。
それでも人が生きて行くのは、いがみあったり争ったり
するためではなく、調和の音を鳴らすためだと信じている。
音も狂い、加えて不協和音が鳴り始めているように思われる
この世界の中で、せめてひと時、
あなたと美しい音楽を奏でたいと思う。
同じ時代に生まれた私たちが一緒にいられる時間は、
長くはない。」
生活保護を受けている人や
路上生活経験者が芸術活動をしていることに触れて、
「文学や芸術はもっともっと一個人に開かれていいものだと思う。
誰がいつ始めてもいい。その巧拙やレベル如何に
最後までこだわる人もいるだろうが、一番大切なのは
一人の人間にとっての切実な表現と喜びがそこにあるかどうか。
それから、それを認めて受け入れてくれる人が身近にいるかどうか。
これは、人の幸福を決める大きな要因であり、
人が生きていく上で、最強のセーフティーネットになりうるとも思っている。
『社会の役に立たないからなくてもいい』
『レベルが低くて中途半端だから価値がない』
こういう硬直した考え方を前に、しなやかに返答し続けるものが、
芸術であり、文学ではないかとも思う。」
本の前後に、父、寺尾次郎さんのことが書かれているのも印象的。
2、3日前、何気なく見ていたBSの映画の字幕翻訳に、
寺尾次郎の名前があり、何というタイムリー!