2020年03月05日

告別

宮沢賢治の詩で大好きな詩の1つに、
「告別」という詩があります。
農学校で教師をしていた賢治が、
学校をやめるときに、
生徒たちに向けて書かれた詩です。
長いですが、書き写します。


「告別」  宮澤賢治


おまへのバスの三連音が
どんなぐあひに鳴つてゐたかを
おそらくおまへはわかってゐまい
その純朴さ希みに充ちたたのしさは
ほとんどおれを草葉のやうに顫(ふる)はせた
もしもおまへがそれらの音の特性や
立派な無数の順列を
はっきり知って自由にいつでも使へるならば
おまへは辛くてそしてかがやく天の仕事もするだらう
泰西著明の楽人たちが
幼齢弦や鍵器をとって
すでに一家をなしたがやうに
おまへはそのころ
この国にある皮革の鼓器と
竹でつくった管とをとった
けれどもいまごろちゃうどおまへの年ごろで
おまへの素質と力をもつてゐるものは
町と村の一万人のなかになら
おそらく五人はあるだらう
それらのひとのどの人もまたどのひとも
五年のあひだにそれを大抵無くすのだ
生活のためにけづられたり
自分でそれをなくすのだ
すべての才や力や材といふものは
ひとにとゞまるものではない
ひとさへひとにとゞまらぬ
云はなかったが、
おれは四月にはもう学校に居ないのだ
恐らく暗くけはしいみちをあるくだらう
そのあとでおまへのいまのちからがにぶり
きれいな音が正しい調子とその明るさを失って
ふたたび回復できないならば
おれはおまへをもう見ない
なぜならおれは
すこしぐらゐの仕事ができて
そいつに腰をかけてるやうな
そんな多数をいちばんいやにおもふのだ
もしもおまへが
よくきいてくれ
ひとりのやさしい娘をおもふやうになるそのとき
おまへに無数の影と光の像があらはれる
おまへはそれを音にするのだ
みんなが町で暮したり一日あそんでゐるときに
おまへはひとりであの石原の草を刈る
そのさびしさでおまへは音をつくるのだ
多くの侮辱や窮乏のそれらを噛んで歌ふのだ
もしも楽器がなかったら
いゝかおまへはおれの弟子なのだ
ちからのかぎり
そらいっぱいの
光でできたパイプオルガンを弾くがいゝ



とてもわかりやすい言葉で書かれていて、
生徒に対する厳しくも深い愛が
ストレートに伝わってきます。
生徒を励ますことで、
「暗くけはしいみちをあるく」自分をも
戒めているのでしょう。

「自分でそれをなくすのだ
すべての才や力や材といふものは
ひとにとゞまるものではない
ひとさへひとにとゞまらぬ」

「すこしぐらゐの仕事ができて
そいつに腰をかけてるやうな
そんな多数をいちばんいやにおもふのだ」

そして最後に、
「もしも楽器がなかったら
いゝかおまへはおれの弟子なのだ
ちからのかぎり
そらいっぱいの
光でできたパイプオルガンを弾くがいゝ」

なんて素敵な先生なのでしょう。
以前、と言っても30年近く前ですが、
教師でもある鳥山敏子さんが、
賢治の教え子たちを訪ね歩いて作った
「先生はほほ〜っと宙に舞った」という映画を
見たことがあります。
鳥山さんもいらしてお話を伺ったことも。
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その時既に82歳〜85歳という高齢だった生徒たちは、
70年も前の賢治先生の思い出を、
まるで昨日のことのようにいきいきと話すのです。
その様子が楽しそうで、嬉しそうで、面白くて、
とても印象に残っています。
生徒たちの話から伝わる賢治先生の変人ぶり、
オチャメな側面。
70年経っても、賢治の精神は、
その後の彼らの生き方に影響し、血となり肉となっていました。
生徒にとって、本当の意味で、
すごくいい先生だったのでしょう。
賢治自身ももまた、楽しんでいました。
「生徒諸君に寄せる」という詩で、

「この四ケ年が
     わたくしにどんなに楽しかったか
 わたくしは毎日を
     鳥のやうに教室でうたってくらした
 誓って云うが
     わたくしはこの仕事で
     疲れをおぼえたことがない」

と書いています。
 
「そらいっぱいの
光でできたパイプオルガン」
空を見上げると、
いつもこの詩を思います。

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2020年03月04日

ゴッホと賢治

私が大好きな作家に宮沢賢治がいます。
何度読み返しても、心が揺さぶられます。
ゴッホと賢治、
二人はなんと似ていることでしょう。
二人とも同じ、37歳で、亡くなりました。
生きている間、ただひたむきに、
人間とは何か、真理とは何か、芸術とは何かと
問い続けました。

ゴッホの父は牧師でした。
賢治の父も熱心な信仰の人でした。
名家に生まれ、幼少期を過ごし、
そのことに負い目に感じ、
父に理解してもらえず、早く家を出ました。
それからは、学びの日々、
歩く人、旅する人でした。
いろいろな仕事もしました。
ゴッホは、牧師になったり、画廊で働いたり、
賢治も農学校の教師になったり、
貧しい農民を助けるために、命を削って働きました。
その仕事で、豊かになることはありませんでした。
ゴッホは、絵描きになると決め、
10年間の間に、2000枚の素描と油絵を残しました。
賢治も詩集とトランクいっぱいの童話の原稿を残しました。
二人が探し求めたのは、
その時代には理解してもらえないことでした。
唯一、理解してくれたのは、
ゴッホの弟テオ、賢治の妹トシでした。
二人は、弟と、妹に、限りない愛情を注ぎます。
テオにあてた沢山の手紙、
トシが亡くなった時の賢治の詩、
心がふるえます。
そうして、ひたすら純粋に駆け抜けた37年でした。

なんという同じ星のもとに生まれた二人でしょう。
二人の残したものは、
いつになっても、新しく、
キラキラと輝いています。
まるで、私たちのいく道を照らすように。

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posted by kaze at 20:40| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年03月03日

最後の手紙

ゴッホが弟テオに宛てた手紙の中で、
投函されなかった最後の手紙があります。
亡くなった後、出てきた手紙です。


ぼくが是非、きみにいっておく必要があると思う。
すくなくとも一番大切なことだからだ。
死んだ芸術家の絵を扱う画商と、
生きた芸術家の絵を扱う画商との間に、
こんなにもいま理不尽な違いがあるのだから。

とまれ、ぼくの絵に対してぼくは命をかけ、
ぼくの理性はそのために半ば壊れてしまった
─それもよい─
しかし、きみはぼくが知る限りそこいらの画商ではない。
きみは現実に人間に対する愛を持って行動し、
方針をきめうるとぼくは思うが、
しかしきみはどうしようというのか?


ひたむきに自分の絵を追求し続けたゴッホ、
そんな兄を支え続けた弟。
生きている間は、周りから理解されることはなく、
1枚の絵も売れることがなかったゴッホにとって、
テオは唯一の居場所、理解者だった。
残された沢山の手紙は、そのことを物語っている。
最後に、「きみはどうしようというのか?」と
問いかけられたテオは、打ちのめされる・・。

この言葉は、テオだけではない。
今、ゴッホに出会う人にも向けられているように感じるのは、
私だけではないように思う。
だから、こんなにも心を揺さぶられるのだ。

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posted by kaze at 21:07| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする