2年ちょっと前。
神戸のギャラリー島田でした。
深い闇から浮かび上がる女神たちの
優しく静かに包んでくれるような表情が印象に残りました。
その時は、石井一男さんという画家について、
何も知りませんでした。

それから、ギャラリー島田の島田誠さんの本を読んで、
石井さんが、簡素な長屋の2階に住み、
49歳になるまで、一人孤独な生活をしながら、
命をつなぐように絵を描かれていたことを知りました。
島田さんに出会って、1992年、49歳の初個展。
それからだんだん知られるようになり、
絵も売れるようになった今でも、生活は全く以前と同じ。
広いところに移りたいとも思わないとか。
絵が描ける空間があればそれで十分なのでしょう。
後藤正治さんが、石井さんについて書かれた
「奇跡の画家」も読みました。
寡黙で、誠実なお人柄が、よく伝わってきました。

コロナのこともあり、
ギャラリー島田のホームページで、
オンラインで買える石井さんの作品が出ていました。
それで、気になる作品があり、
思い切って買いました。

よくある黒っぽい色をバックに描かれた女神ではなく、
白っぽいバックで、頭のあたりから、何やら出ていて、
画面の下半分に、散らばっています。
大きさは葉書大の、小さな作品です。
届いてよく見ると、
これは私だ、と思えてきました。
もちろん石井さんの心象風景でもあるのでしょうが、
きっと言葉にならない何かが
たくさんあって、あふれて出ている、
それを描かずにはおれなかったのではないか、と。
昨日紹介した、寺尾紗穂さんの「彗星の孤独」の中に、
「『言葉以前』の人々のように」という文章があり、
とても好きでした。
出雲でライブがあり、時間があったので、出雲大社に行き、
そこで聞いた講演会で、
古事記や日本書紀に描かれる神様は、
いつまでも泣いているか、長いこと沈黙している。
それは、人間の言葉以前の状態を表している、ということ。
つまり神様も、言葉を持たなかったころは、
悲しいことも嬉しいことも泣いて表現するしかなく
それ以外は黙るしかなかった、という話。
寺尾さんと同じで、私も小さいころから、
話すのが苦手です。
とっさに言葉が出ず、心の中で言葉が浮かんでも、
ぐるぐるするばかりで、出すタイミングがわからず、
飲み込んでしまいます。
思ったことを的確な言葉で話す人は、すごいと思います。
私は、だいぶ後で、あの時、ああ言えばよかったと、
気づくことが多いです。
言葉にすることのもどかしさ。
寺尾さんが子供たちに「スーホの白い馬」を読んでいて、
途中で涙がこみあげてきて読めなくなった話も、
同じ経験があり、わかる〜。
「いつまでも泣いていた神様や言葉を知らぬ古代の人々のように、
私はこれからもたくさん涙を流し、歌いながら『鳴き』続けて
いくのかもしれない。」
寺尾さん、歌があってよかったね。
もちろん文筆家としてもすごいけど。
石井さんの絵を見ながら、
寡黙な石田さんも、言葉で言えないから絵で表現したのですね、
石井さん、絵があって良かったね、と声かけたくなりました。
石井さんの絵に、すごく親近感を感じました。