投函されなかった最後の手紙があります。
亡くなった後、出てきた手紙です。
ぼくが是非、きみにいっておく必要があると思う。
すくなくとも一番大切なことだからだ。
死んだ芸術家の絵を扱う画商と、
生きた芸術家の絵を扱う画商との間に、
こんなにもいま理不尽な違いがあるのだから。
とまれ、ぼくの絵に対してぼくは命をかけ、
ぼくの理性はそのために半ば壊れてしまった
─それもよい─
しかし、きみはぼくが知る限りそこいらの画商ではない。
きみは現実に人間に対する愛を持って行動し、
方針をきめうるとぼくは思うが、
しかしきみはどうしようというのか?
ひたむきに自分の絵を追求し続けたゴッホ、
そんな兄を支え続けた弟。
生きている間は、周りから理解されることはなく、
1枚の絵も売れることがなかったゴッホにとって、
テオは唯一の居場所、理解者だった。
残された沢山の手紙は、そのことを物語っている。
最後に、「きみはどうしようというのか?」と
問いかけられたテオは、打ちのめされる・・。
この言葉は、テオだけではない。
今、ゴッホに出会う人にも向けられているように感じるのは、
私だけではないように思う。
だから、こんなにも心を揺さぶられるのだ。
